シーズン外で、しかもロンドンではないにも関わらずハウスパーティーと銘打ったその場には結構な人数の男女が集まった。
別邸ながらなかなかの広さを持つホールにはメイドが始終忙しそうに給仕に走り、招待客は噂話や自慢話に花を咲かせる。
会場にはゆったりとした音楽が流れ、幾人かは手を取り合い音楽に合わせて踊り始めた。

その中心で未来の花嫁になろうかという女性たちに囲まれながら、マグナスの怒りは静かに、そして確実に頂点へ向かおうとしていた。
余計なことを口走らない為に飲んでいた大して美味でもないワインは既に4杯目に差し掛かろうとしている。
何しろ女性たちの話題を言えば、流行のドレスはどこそこの仕立屋が一流だとか、身につけている宝石の値段や貴族の噂話ばかりで少しも興味をそそらない。
その上、事あるごとにマグナスに向けられる意味深な笑みや押しつけられる豊満な体にもうんざりであった。

マグナスは早くも自分の失態に気付くこととなった。
確かに義母には結婚相手を探す手伝いをして欲しいと手紙に書いたが、ダニエルの母親を探す手伝いをして欲しいとは書かなかったのだ。
集まった令嬢たちは確かに名のある貴族ばかりであったし、美しさも充分であった。しかし欲しいのは子供への愛情だ。
マグナスが持つ広大な領地、それから莫大な財産に、所有する全ての邸を賭けてもいい――この中にダニエルの母親に相応しい令嬢は誰一人としていない。
美貌も持参金も、家格もいらない。必要なのはしっかりと子供を育てられる女だ! マグナスは胸中で悪態をつきながらグラスに残ったワインを飲みほした。
この苦みと酸味が全ての苛立ちを消してくれることはないと知っていても。
しかしそんなマグナスの心中とは裏腹に、女性たちは次々と話題を変えていきマグナスと少しでも話そうと躍起になっていた。

「ラザフォード卿の庭は素晴らしいと聞きましたわ」

リッチモンド侯爵令嬢――名は紹介された気がしたが、既に記憶にはない――が演技がかった口調でそう切り出すと、周りにいた他の女性も一斉にマグナスの方へ視線を向ける。
その媚を売る様な目にマグナスは笑みを返しながら、内心で嘲笑っていた。
実際、ラザフォード伯爵の庭はイギリス中でも5本の指に入るほど素晴らしいものであったが、例えこの場で庭が蔦と雑草に覆われたみすぼらしいものだと言ったとしても、彼女たちは口々に賞賛の言葉を浴びせるだろう。
庭の様子など未来の伯爵夫人にとっては何の問題でもない。マグナスの持つ財力の方がはるかに魅力的だからだ。

「そうですね。私が妻を娶った際には是非とも我が屋敷へ。妻の話し相手にでもなってくださると嬉しいのですが」

暗にこの中にいるどの女性とも結婚する気はないとほのめかし、マグナスは呆然としている令嬢たちから新しいグラスをとってくると言い離れた。
それまで遠目にマグナスと令嬢を見ていたメリッサの眉が攣り上がったが、マグナスの関知するところではなかった。ただ一つ言えることは、あと1分であってもこの場にいることは耐えられそうにないということだけだ。
できる限り早足でテラスへと向かう。噎せ返るような香水の匂いばかりを嗅いでいた所為か、ひどく新鮮な空気が欲しかった。
マグナスの気迫に押されていたのか誰もマグナスを呼び止めようとはしなかった為、案外すんなりとテラスまで出られたのは幸いであった。

大きく息を吐くと、しばらく感じたことのなかった疲れが体中に圧し掛かる。
背中越しにぼんやりと聞こえるワルツと、男女の笑い声。それがたった一枚のガラスの扉によって遮断されるのは、とても不思議な気持ちだ。

マグナスはほんの10分ほど休んでからホールに戻るつもりだった。
ひどいパーティではあったが、マグナスはダニエルの母親を探すことを諦めてはいなかった。
まだ数名、きちんと会話をしていない令嬢がいたはずだ。もっとも、その数人の中に花嫁となるべき人物がいるとも思えないが万が一という場合もある。
なるべく早く花嫁はみつけたい。この際母親に相応しいかの基準は少し下げ、いかに夫に従順であるかを優先すべきか。
夫に従順であれば、ラザフォードの領地にダニエルと一緒に住むことに強くは反対しないだろう。大切なのは「ダニエル母親」という肩書きなのだ。

金輪際、婚約者を探すためのパーティを開くのはまっぴらだ。女性たちの質問に対して答えを考えるのも、思ってもいない世辞を言うのも。
それらを使えば、今会場にいる軽薄な娘たちが従順で素晴らしい母親になるのならあちらがうんざりするほど並べ立ててやってもいいが、残念ながらマグナスの鬱積が溜まるだけで少しの利益も見込めそうにない。
そんなことを何度も繰り返さなくてはいけないと思うだけでもぞっとする。
だから何としてでも今日、このパーティで花嫁を探す必要があった。

森の奥から吹く風がアルコールを含んだ体を心地よく通り過ぎていく。光も何もない空間ではあったが、心が落ち着くような気がした。
丁寧に刈られた芝生の向こうにはひたすら森が続き、夜の静寂を時おり鳥の鳴き声が破る。
おもわず感嘆のため息が零れた。


「ねえ、先生。お兄様は喜んでくださるかしら」
「どうかしら。けれども立派な花束が出来上がったわね」

ふと下から聞こえた声に視線を落とすと、暗闇の中にぼんやりと浮かぶ光があった。
蝋燭の燭台を持った女が一人と――子供が一人。
それが妹であるレティシアだと気づくのに随分と時間がかかった。すると先生というのは、あの家庭教師のことか。

マグナスは妹の家庭教師だと紹介された娘を思い出した。確か名前はエミリア・アンダーソンといった。
彼女がパーティに出席するとは聞いていない。今夜招待された客は女性のが多かった為、これ以上の女性客は不要だったのだ。
マグナスが見ているとも知らず、2人は楽しそうに笑っていた。
薄暗い為にはっきりとは確認できなかったが、レティシアのドレスは土で汚れお世辞にも淑女(レディ)らしいとは言えない。それを教えるべき家庭教師もそんなことは構わずに、レティシアと視線を合わせるかのように腰を下していた。
きっと彼女のドレスの裾も汚れているに違いない。その事実を想像し、マグナスは顔を顰めた。少なくともマグナスの知る家庭教師たちは、今の彼と同じような反応をするだろう。
しかし、エミリアだけは違ったようだ。レティシアが彼女に向って伸ばした泥のついた手ですら、笑顔で握りしめる。イギリス中の貴婦人なら悲鳴を上げて叱り飛ばすだろう行動を、だ。
レディにはあるまじき行為なのかもしれない。しかし不思議と嫌悪感は湧かなかった。


「ミス・アンダーソン」



気づいたらそう声を掛けていた。マグナスは自身の行動に驚いたが、エミリアはそれ以上だった。
短い悲鳴を上げ、視線を向けた先にマグナスの姿を確認するとまるで叱られる前の子供のようにバツの悪そうな顔をした。
既にレティシアがいるのも知られているのにも拘らず、彼女はそっとレティシアを背中に隠すことも忘れない。
だが次の瞬間には――ドレスに泥が付いていること意外――完璧なレディのように軽く膝を折り、マグナスに笑顔で挨拶をしていたのにはさすがに感心した。

「こちらにおいでだとは存じ上げませんでした。このような恰好で…その、申し訳ございません」
「一体何をしていたのだ?」

途端にエミリアは口を噤まざるを得なかった。
パーティにレティシアは招待されていない。エミリアはメリッサにパーティに出てもいいと言われていたが、着るドレスがなかった為に適当な言い訳をつけて断った。
いつもようにレティシアを寝かしつけようと部屋に入った時、レティシアにお願いをされてしまったのだ。
――お兄様のお嫁さんになる方に、花束を作って差し上げたい。
マグナスが屋敷に来てからというもの、レティシアは必死に兄と仲良くなろうと努力をしていた。食事のたびにドレスを変える姿や、いつ兄が部屋に入ってきてもいいようにいつも以上に勉強を頑張る姿は抱きしめたくなるほど愛らしかった。
しかし兄であるラザフォード伯爵は妹と親しくなるつもりは微塵もなかったようだ。
食事の時以外は仕事と称して部屋にこもっているか、馬に乗って森へ狩りに行ってしまう。その為レティシアが招待した午後のお茶会に、マグナスは2度とも欠席した。
エミリアは呆れてものが言えなかったが、レティシアは諦めなかった。
少しでも兄を喜ばせたい。その一心があの言葉を言わせたのだとエミリアは知っている。
今夜はお忍びで庭に出るには絶好の機会であった。エミリアと他数名のメイドたち以外は全員パーティに出払っているし、そのパーティが終わるのは日付が変わった後だろう。
レティシアの期待に満ちた瞳の前で無碍に断ることもできず、2人はこっそりと部屋を抜け出し庭に降りてきたのだ。
夜に咲いている花などほとんどないが、切り花にして生けておけば明日の朝にはまた花を咲かせる。そうしたら花束にして伯爵に渡せばいい。
あの無表情な顔も少しは変化するのかと思うと少しだけ興味が湧いたし、花を摘むぐらいだったらそれほど時間はかからないと高を括っていたのがいけなかったのか。
よりにもよって伯爵本人に見つかってしまうとは。

「私の記憶が正しければ妹はとっくに寝ている時間だと思うのだが」

何も答えないエミリアにマグナスは続けた。
妙な威圧感にごくりと喉が鳴る。レティシアが不安げにエミリアのドレスの裾を掴んだが、大丈夫だと言うようにエミリアは優しくレティシアの背中を叩いた。

「よ、夜の授業をしていたのです。伯爵様」

エミリアの返答にマグナスの眉が上がる。

「授業?」

その声色には呆れたようなものも含まれていた。
エミリア自身も苦しい言い訳だとは思ったが、一旦口に出してしまったものを撤回するわけにもいかない。
なるべく冷静に、いかにも有り得そうな風を装うことが一番だと思った。

「ええ。夜にしか教えられないことはたくさんございます。もちろん、本から知識を得ることはとても大切なことですが、やはり実際の体験とは大きく違いますから」

マグナスは家庭教師の行動をじっくりと見つめた。
動揺している様子はない。寧ろこちらが驚くほど口調は冷静だ。
相も変わらずみすぼらしいドレスは、彼女の肌を隠していたがレティシアを撫でる指先とほんの少しだけ襟元から覗く首筋は月明かりに照らされ、まるで真珠のように輝いている。
先日きっちりと結われていた金髪は今は少しほつれ、柔らかなウェーブを作っていた。
一見、華奢な体に見えるがレティシアを後ろ手に庇う姿は凛としていて隙がない。あの薄茶色の瞳は真っ直ぐマグナスを見据え視線を逸らそうとしなかった。
それはマグナスにとって初めてのことだった。
大抵の女はマグナスを見ると頬を染めさっと視線を逸らすか、上目づかいにこちらの反応を窺うかのどちらかであった。
これは大いに興味をそそる。
恐らく夜の授業というのはこの家庭教師が咄嗟に作り上げた嘘だ。だが、彼女はレティシアを守る為に嘘をつく。
ある一つの考えがマグナスの頭を過る。確信に近い勘であった。

「それは素晴らしい。教育熱心な家庭教師を妹につけることができて私も嬉しく思う」

またもやエミリアは言葉を失った。てっきり何を馬鹿げたことを、と言われるのを覚悟していたのだが。
しかし伯爵は少しも怒った様子はなく、先ほどにはなかった笑みすらその顔に浮かべているような気がした。
何かとてつもなく嫌な予感が背中を駆け上がり、エミリアは思わずレティシアを抱きしめていた手に力を込めた。

マグナスは庭に出る為に作ってある石造りの階段をゆっくりと下りた。
その姿はまるで一国の王子さながらのように優雅で、絵になる光景であった。驚くべきことに伯爵はこちらに向かって歩いている。
そう気づいたエミリアは一歩後ろに下がりたくなったがレティシアの手前、なんとか踏みとどまった。

ちょうどエミリアがいる場所まであと数歩、というところで突然テラスの扉が開き今日の為に新調したドレスを着たメリッサが現れた。

「マグナス!」

静寂が一気に破られ、近くの木に止まっていた鳥たちが一斉にばさばさと羽を羽ばたかせ暗闇に消える。


「一体どういうつもりなの?今夜はあなたの為のパーティなのに、主役がいないだなんて…」

苛々とした口調でマグナスの姿をとらえたメリッサは、庭にエミリアとレティシアがいるのを見てさらに眉間に皺を寄せた。
大きく胸の開いた流行のモスリンのドレスはメリッサの魅力を最大限に引き出していた。同じような色を着ているのにも拘らず、エミリアとのドレスとは大違いである。
家庭教師であることに流行のドレスは必要ないが、ほんの少しだけ憧れを持っているのも事実だ。
メリッサはマグナス、エミリア、そしてレティシアと順に視線を辿らせていき、言葉では言い表せないような奇妙な表情をした。
レティシアとエミリアはとっくに寝ているものだと思っていたし、マグナスに至ってはどうして庭に下りているのかすら分からない。
しかしメリッサが理由を問うよりも早く、マグナスの口が開いた。

「義母上、結婚相手を決めました」

その場にいた誰もが言葉を発せずにただ呆然とマグナスを見た。
あまりに突然であり、予想もできなかった言葉だ。

「それは…その、素晴らしいわ。ええ、とても」

長い沈黙の後、ようやくメリッサは口を開いたが大きく戸惑っているのがエミリアには分かっていた。
伯爵がこんなに早く結婚相手を決めたことには驚きだが、はっきり言って何の関係もない。伯爵が新しい奥方を娶ったところでエミリアの生活が何か変わるわけではないのだ。
ただレティシアとこの場にいるのはとてもまずい気がしたので、さりげなくレティシアを急かして屋敷の中に戻ろうとした。
可哀想な花嫁の名前は明日にでも屋敷中を駆け巡るだろう。それから花束を作っても遅くない。

しかしエミリアは前に進めなかった。その手を誰かが強く引いたからだ。

「あの…伯爵様?何かご用でしょうか」

レティシアと一緒になって花を摘んでいた所為でエミリアの手は土で汚れていた。
その手を伯爵がじっと見ているという事実に、かっと頬が熱くなる。レディがこんな手をしていることにきっと呆れていらっしゃるのだ。
だが、マグナスが取った行動は全くの逆であった。
マグナスは暫くエミリアの手を見ていたが、不意に胸元からハンカチを取り出し丁寧に彼女の手に付いた土を払い落した。
そして軽く指先を取るとあろうことかエミリアの手に口づけをしたのだ。
エミリアもメリッサも呆気にとられる中で、マグナスはエミリアと視線を合わせたまま芝生の上に片膝を立てた。

「伯爵様!」
「マグナス!」

ラザフォード伯爵ともあろう人物が一介の家庭教師に膝を折るなどという信じ難い光景に、エミリアとメリッサはほぼ同時に声を荒げた。
しかしそんな2人の声を無視して、マグナスは言葉を続ける。
――それこそ、思ってもみなかった言葉を。


「エミリア・アンダーソン嬢。どうか私の妻になってください」
 






Back Top Next
inserted by FC2 system